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(※ネタバレがあります)

観てきました。
そして、僕自身の感想でも、他の人の感想(ネットや、友人)でも、共通して同じだったことがある。

それが、この映画は「語れない」映画であるということ。

それは「語ることが無さすぎる薄っぺらい映画」ということではなく、「大変言語化しづらい映画」であるということだ。

僕は観終わった直後、果たして何を語ればいいのか本当に分からなかった。
あのシーンで泣いた、このシーンが怖かった、そういうのはある。

「感動した」
「やっぱり戦争は怖い。戦争は嫌だ」
「日常や大切な人を喪うって、苦しいね」
 
確かに、全部そうだ。

そうなんだけど……そういう言葉が言葉が全部表面的な気がする。そんな一言で包んで流してしまえるようなものじゃない感じがしてしまう。
言ってしまえば、そういう感想は「戦場のピアニスト」だって、「プライベート・ライアン」だってそうだった。

でも、それらとこの映画が同じだったかと言うと、全然違う。
そうじゃなくて、もっと深くて根本的なところに、きっと心が動かされた。

でも、この映画の何がそうしたのか、掴めない。
だから、語れない。


そんな極めて不明確な、腰をかける場所が見つからないような、「片づかない」感情を持ち続けるのは辛い。
だから、考えてみた。


果たして何故、この映画は語れないのだろうか?

 
先に結論を言ってしまえば、恐らく、この映画が頭抜けて「体験」にフォーカスしていたからではないだろうか

どういうことか。

一般的に、戦争が入ってくる物語というのは、戦場にいる兵士の目線で描くか、第三者的に、ある程度客観的な目線で描くか、のどちらかであることが多い。

この場合、後者のある程度客観的な目線で描く方は記録映画的で、比較的他人事というか、「世界のどこかで過去にこんなに怖いことがあったんだなあ」くらいの温度感で見終わる。そして、 前者の兵士目線では、「戦争怖すぎ、絶対に嫌だ」というような恐怖訴求後のような温度感で見終わる。
この比較において、前者の兵士目線はかなり体験的に思えるし、戦争の狂気は凄く伝わっているような感じがする。

しかし、ここで一歩立ち止まって考えてみよう。
我々、現代の日本人にとって、兵士という立場や戦場が、どれほどのリアリティを持つのだろうか?

正直、60歳くらいまでの戦争を体験していない人間にとって、当たり前に平和な毎日こそが日常であり、リアルだ。
だから、従来の戦争映画が如何に兵士の動きや、兵器のギミックや、戦史の再現によってリアリティを追求しようが、それはある意味、体験していない人間にとってはファンタジーと変わらないはずだ。
例えば、メキシコに行ったことがない中学生に、嘘のメキシコの映像を見せようが、本当のメキシコの映像を見せようが、リアリティは判断出来ない。知らないし、体験していないからだ。 そんな彼にとってのメキシコが、ドラッグとマフィアとセックスのヤバイ場所という認識になっても何もおかしくはない。

そういう意味でリアリティを考えてみた時、我々にとってのリアルとは、やはりこの日常であり、戦場で銃を持つことではない。それはもはやファンタジーだ。

そして何より、この映画のジャンルを問われた時に、戦争映画と一言で述べるのは若干の抵抗がある。
何故なら、この映画における戦争の恐怖というのは、あくまで、彼女たちが生きる日常の延長線上に置かれた恐怖だからだ。

そう考えた時に、この映画における戦争というのは、どちらかと言うと、我々の世界における「天災」に近いような気さえしてくる。

すずさん達にとっての戦争の感覚というのは、僕らにとっての地震や、交通事故の方が近いということだ。日常に突如降りかかってくる理不尽、それが天災だ。
例えば、誰もこの21世紀に、地震と津波で1万5千人も死に、原発がメルトダウンして放射能を撒き散らすなんて思ってもみなかった。天災とはこのように、日常に突如現れるどうしようもない災厄のことだ。
そう思えるくらい、この映画は日常色が強く、僕たちが生きる毎日のリアリティに近かった。

そして、ここが大切なポイントだが、物語の追体験とは当然、キャラクターへの共感が土台となって生まれる。
だとすれば、我々と同じような日常が8割の世界でぽんやりと生きる優しいすずさんと、随時挟まれる哲や周平との恋や、家族との笑いに共感出来る僕等が、突如起こる爆撃や、喪失に衝撃を受けない訳がないのだ。
それは余りに自分ごと化出来て、遠くない世界と人々の姿である。そんな彼らに、否応なしに振られた現実だったからだ。

そして、戦争自体を我々は、社会や日本史という授業を通して、「知識」としては知っていた。
だから、終戦記念日が近づく度に、舞台である広島に対して背筋が凍る想いがする。原爆が落ちることを知っているからだ。

知識は他人事だが、体験は自分ごとである。
この定義に沿えば、無論、この背筋が凍る想いや前述の衝撃こそが、「知識」ではなく、「体験」であったという証拠だ。

そう考えると、「何故言語化出来ないのか」という理由が分かってくる。

我々は、自らが体験した出来事について、一言で語ることが出来ないからだ。
それは深すぎて、多過ぎて、言葉にならない。

例えば、貴方は大切な人(ペットでも良い)の死を体験したことがありますか?
あるとしたら質問です。

「貴方は、その大切な人を失った時、どう思いましたか? 一言でどうぞ」

この質問に貴方はどう感じただろうか?
因みに僕がこんなことを街中でTVのニュースレポーターに訊かれたら、間違いなく激高すると思う。

「この野郎ふざけやがって!そんな単純に語れる訳あるか!」 

そう、繰り返しになるが、我々は、自らが体験した出来事について、一言で語ることが出来ない。
それは深すぎて、多過ぎて、複雑すぎて、簡単に言葉なんかにはならない。

これと同種の感情、それが、この映画が体験映画として最高峰であるということであり、「語れない映画」であることの正体なのだ。



【追記】
この映画を「戦争映画というには抵抗がある」と書きましたが、やはり戦争映画ではあるのだと思います。
玉音放送で敗戦を聴いたすずさんが、
「そんな覚悟で…! まだ左手も両足も残ってる!最後の一人まで戦うんじゃなかったのか!」
そう、激昂するシーンがそれを裏付けます。
彼女はおっとりして優しくて、日常8割のこの世界の体験性を強く演出した登場人物である同時に、どうあっても、喪ったからにはそれをどうにかしたい気持ちが生まれる普通の人間でした。
例えば、世界一のピアニストになりたい人に、普通の大学生活は享受出来ません。彼は何かを喪い、しかしだからこそ、喪った自分を肯定する必要がある。だから、追い込むように努力を重ねる。多かれ少なかれ、誰もがそんなトレードオフの中に生きていると思います。
そしてすずさんも、晴美さんや、最愛の絵を描く右手や両親を失いました。
だからこそ、彼女は一億火の玉、欲しがりません勝つまでは、の価値観をどうあっても肯定しなければいけなかった。
でも、それを言って強いた本人達が、勝手に撤回してしまった。失ったものはもう帰って来ないし、それを肯定した自分の心をどこに置けばいいのか分からない、困惑し、激高するのは当たり前です。
つまり、僕らが共感した彼女でさえ、知らず知らずに追い込まれ、蝕まれていた、そのことを如実に表したのが、上の言葉なのだと思います。だからこそ、日常がいつの間にか、非日常に変わってしまい、それを体験した個人もまた、もう過去には戻れないのだと気付かせるこの映画は、やはり戦争という遣る瀬無い行為を伝える戦争映画ではあったのだと思います。