”これまでは、自分の為に映画を作ってきた。
 しかし今回は、若い人たちに向けてこの映画を作りたい。” 押井守

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正直、最初の1時間ほど見て、美しいが退屈で、テーマの分からない写真みたいだと思った。
しかし、ラスト30分で、その意図とテーマが一気に明かされ、激しく心を揺さぶられた。
それ故に、本記事ではしっかりと、考察と解説をしていきたい。 

まず、他の人がどう考えているか知らないが、僕は本作は
【資本主義社会に踊らされて生を生きるな】というものがテーマだと捉えている。

難しく考えることでもないから、少しずつ、整理していこう。

本作の最重要設定である「キルドレ」=成長しない子供たち、というキーワードについて
僕は彼らが、我々が今暮らすこの資本主義社会における、代替可能となった個人の在り方だと感じた。

資本主義社会の基礎的なエレメントは幾つかあるが、その中でも最も基礎的な要素が、「分業」である。
貴方も一度は、アダムスミスのピン製造の例を聞いたことがあるだろう。一人では1日10本も作れないピンを、10人集まって同じことをしても100本程度にしかならないが、鉄を熱する人、それを曲げる人、それを運ぶ人、それを尖らせる人、など分業することで100本が2万本ほどに変わる、という例だ。
 
だが、これが同時に生み出したものは、代替可能になる個人という世界だった。
一人の職人が、その専門性を以て、一つのものを作り出し、それはほかの人には作れないという時代ではなく、マニュアル化された作業を誰もが簡単にこなせば、全工程など知らずとも、商品は出来上がる。故に、専門性や個性は要らず、ただ、マニュアル通りに、ミスなく、ものを作れる人間なら、誰でもよくなった。

キルドレというのは、成長せず、脳に挿入される記憶も断片的な存在である。
殺されない限り、半永久的に死ぬこともなく、任務をただ遂行する機械の様な人間達だ。成長しないクローンという感じか。
彼らにとっては、昨日のことも、一か月前のことも、去年のことも差がない。ただ、ぼんやりと、起きているのか、眠っているのかも分からない感覚で生きる生涯において、戦争というゲームのコマになっている。主人公の彼が死んだところで問題はない。彼の能力を移植された彼のコピーがまた生まれ、死ぬまで戦うだけだ。

このように、現代社会における、代替可能な個人とキルドレというのは、メタファー的なレベルでほぼ同等である。
本作が持つ独特な虚無感、希薄な人間同士の雰囲気というのは、工場で働く個人の心情を彷彿とさせる。彼らには、今日も昨日も一年前も変わらず、歯車としての生を全うすることが要求されている。
本作における演出、つまり色調をあえて抑えことや、1カットの停滞時間が長いこと、顔のアップよりも、全体が移る客観的なショットが多いこと、また同じカットをわざと使うという手法も、すべてはこの「変化しない日常」を描写する為のものだろう。 
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その上で、戦争というゲームについて触れたい。

本作には、「ティーチャー」と呼ばれるパイロットがいて、彼を倒せるものはいない。
草薙によれば、彼は戦争というゲームが絶対に終わらないように設定された、絶対に勝てない敵である。人々が今を生きられている、平和というものを実感するために、戦争は無くなってはいけない。誰かが絶えず、この世のどこかで戦い、死んでいるということが、メディアを通じて知らされることで、人々は日々の生活を平和と認識し、実感する。その為に、戦争というゲームは必要である、と。
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本作の最後に、主人公のユウイチは、このティーチャーに突然挑む。
彼は何故、ティーチャーに挑んだのだろうか?
それは彼がキルドレであっても、人間であり、個性であり、生きているからだろう。

これまで彼は、資本主義社会の歯車として、会社によって生み出された戦争の道具として、そしてキルドレとして、生きてきた。
「明日死ぬかもしれない人間が、大人になる必要があるのですか」
そう言ったように、彼はキルドレとして生きる意味を批判的に問うこと無く、その生を全うしてきた。
 
しかし、彼は草薙や三ツ矢といった女性達に出会い、新しい考え方に触れた。
それは、もともと大人として生まれたのか、子供から成長したのかさえ分からず、自分の過去の記憶=自己を構成するアイデンティティさえ不明確であるという嘆きや、キルドレとして生きることは死ぬまで解放されない呪縛であるといった考え方である。 
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そして、彼も、少しずつ感化されていった。

だからこそ、その証拠に彼はゲームのルールを破壊しに行ったのである。
キルドレであれば、歯車であれば、優秀なパイロットとして生きながらえたかもしれない。

しかし彼は、そうではなく、自分達が生きるその構造を破壊しに向かった。
つまり、ティーチャーを殺せば、このゲームの形が、バランスされた戦況が、傾くかもしれない。自分達が、草薙が、この閉じた輪から抜け出せるかもしれない。
だから、彼はティーチャーに挑んだのだ。

きっと、いや、間違いなく、彼は草薙を愛していた。
だから、「殺して」と請う彼女に、「君は生きろ」と強く言った。
 
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しかし結果として、彼はティーチャーには勝てず、返り討ちに遭い、死んだ。

……正直に言うなら、もし、ティーチャーを殺せても、戦争による平和確認ビジネスという構造で儲かる人間がいる限り、彼の行いは無意味なのかもしれない。また新たなティーチャー(大人の男)が投入されるだけだ。
工場で働く者が、爆弾を工場に取り付けても、世界は変わらないように。

それでも、ガンジーが平和を訴えて、体に火を放ったことを、多くの人が無意味だとは一蹴出来ない。

無駄な抵抗をするな、構造に逆らうな、ルールは決まっている、従うしかない。

果たして、本当にそうなのか?
人はそのようにして、ただ個を殺して、生きるしかないのか?

”最近の若者は抵抗を知らない”と「大人の男」たちは言う。
頭をもたげて、やれ「大企業」、やれ「公務員」と口に出し、”安定”や”ささやかな幸せ”を求め、”草食系”と言われる。その姿勢は、確かに抵抗を知らないのかもしれない。

でも、押井守という人間がこの作品を通して言いたかったことは
『そんなお前と、お前が住まう社会を問う目を持って、生きろ』ということだと思う。ユーイチが草薙に、そう言ったように。

僕は社会からの返り討ちに遭いたくはないが、勝手にそんなメッセージを彼から受け取り、そう生きたいな、と思ったのだった。